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MOSTLY CLASSIC(モーストリー・クラシック)
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■目次■
表紙 ドビュッシーとパリの街並

特集
ドビュッシー没後100年 芸術の都パリ

ドビュッシーは1862年6月22日、パリ北西約15キロのサン・ジェルマン・アン・レに生まれた。決して裕福な暮らしではなく、子供時代の思い出を話すことはほとんどなかったという。ピアノを習ってわずか1年で、パリ国立高等音楽院に合格する。食べるためにいろいろなアルバイトをしたが、中でも18歳のとき、ロシアの大富豪フォン・メック夫人のピアニストとして雇われた。メック夫人はチャイコフスキーの大パトロンでもあった。この年は、夫人のヴァカンス旅行に帯同。チャイコフスキーの「白鳥の湖」を2台ピアノ用に編曲している。
1898年、マヌカンとして働くロザリー・テクシエと同棲し、翌年結婚。しかし、1904年、裕福な銀行家の妻エンマ・バルダックと駆け落ちする。エンマとの間に生まれた子供がシュウシュウ。ドビュッシーはとてもかわいがり、「子供の領分」が捧げられている。亡くなったのは1918年3月25日。娘も翌年に13歳で亡くなっている。特集ではドビュッシーが残した管弦楽曲「牧神の午後への前奏曲」、「海」、オペラ「ペレアスとメリザンド」、ピアノ曲「前奏曲集」、「映像」などについて名盤とともに解説している。
ドビュッシーが生きた時代、19世紀から20世紀にかけてのパリは、近代化の槌音が響き、急速に発展していった。パリの人口は19世紀初めには55万人ほどだったが、19世紀半ばには110万人になっている。そして音楽だけでなく、ピカソら世界の芸術家を引き寄せ芸術の都となった。
パリの発展の証が1865年を皮切りに、67年、78年、89年、1900年と開催されたパリ万博。78年の万博ではトロカデロ宮が、エッフェル塔は89年の万博を契機に建てられた。ドビュッシーに大きな影響を与えたのは89年の万博。各国の展示を見た人々は異国のエキゾチシズムに魅了された。ドビュッシーもジャワのガムラン音楽を聴き、影響を受けた。ジャポニズムにも関心を抱き、「海」の楽譜には北斎の「神奈川沖浪裏」が使われている。
他に、◎19世紀フランス歌曲の魅力◎パリ・オペラ座の栄光の歴史◎オペラ座に憧れた外国人作曲家◎ラヴェルの生涯と作品◎パリのサロン文化◎パリで活躍した指揮者◎フランスとロシア、などです。

◎マンスリー・ベルリン・フィル
昨秋、来日公演を行ったベルリン・フィルのライブを収録した「アジア・ツアー2017~ライブ・フロム・サントリーホール」が発売された。ラトルの首席指揮者としては最後の来日となり、ベルリン・フィルはアジア・ツアーとして東京以外、香港、武漢、ソウルで公演した。このCDセットは5枚のSACDハイブリッドと1枚のブルーレイからなり、CDには東京公演のライブ、ブルーレイはその他3都市の映像が収められている。曲はR.シュトラウス「ドン・ファン」、バルトーク「ピアノ協奏曲第2番」、ブラームス「交響曲第4番」など。ベルリンからスタッフが来日して録音しており、「サントリーホールでの公演であれば、これまでの経験から、ツアー中のベストとなる目算があった」とベルリン・フィル・レコーディングスのローベルト・ツィンマーマン氏は話した。

◎宮本文昭の気軽に話そう ゲスト 道口瑞之 劇団四季
劇団四季には、母音法、呼吸法、折れ法という独自のメソッドがある。「折れ法」は心の変化を「折れる」という言葉で表現する。「台詞とは別に、たとえば『強い光が差し込んでくる』といったようなできるだけ具体的な言葉によるヒントですね。演じているときには、感情や意識が変化するポイントがあるはずです。そこが『折れ』になります」と説明する。

このほか
◎青島広志の「ブルー・アイランド版音楽辞典」
◎外山雄三の「オーケストラと暮らして60年」
◎小山実稚恵の「ピアノと私」
◎「鍵盤の血脈 井口基成」中丸美繪
など、おもしろい連載、記事が満載です。

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