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MOSTLY CLASSIC(モーストリー・クラシック)
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■目次■
表紙 モーツァルト一家 左から父レオポルト、ヴォルフガング、姉ナンネル
ルイ・カロジス・カルモンテル画、コンデ美術館蔵

特集
旅するモーツァルト!

モーツァルトは35年の短い人生の中で、3720日、10年以上を旅の空で過ごした。1756年にザルツブルクで生まれたモーツァルトは、人生も音楽も旅から学んだと言えるだろう。6歳にしてウィーンに赴き、マリア・テレジア女帝に謁見し演奏を披露する。翌年から、3年半にも及ぶ期間、ヨーロッパ中を旅して歩く。ドイツ各地はもちろん、ベルギー、オランダ、スイスなどと歩き、フランスでは国王ルイ15世と王妃の御前で、ロンドンでも国王ジョージ3世と王妃の御前で演奏した。
1769年、父レオポルトと一緒にイタリア各地を旅した。ヴェローナ、ミラノ。ボローニャ、フィレンツェ、ナポリなど、旅程は1年3カ月以上にわたった。このときに残されたのが「ミゼレーレ伝説」。ローマのシスティーナ礼拝堂でアレグリ作曲の合唱曲「ミゼレーレ」を聴いた。4声の合唱と5声の合唱が歌い交わすこの曲は、1年に3日しか聴けない秘曲。14歳のモーツァルトは、一度耳にしただけで、宿で楽譜に書き起こした。後日、もう一度聴き、楽譜の誤りを正した。一音一音聴き取って書いたのではなく、アレグリが作曲したルネサンスのスタイルを推測して聴き取った。「克明に聴くのではなく、推し量りつつ聴く、その推量がかぎりなく実態に近い。これがこのエピソードにみる、モーツァルトの天才性の芯だ」と音楽評論家の澤谷夏樹氏。
ウィーンに定住したモーツァルトの人生最後の旅はプラハ。オペラ・ブッファ「フィガロの結婚」がプラハで大成功を収め、次作の依頼を受ける。それが「コジ・ファン・トゥッテ」。亡くなる3カ月前、1791年8月から9月にかけて3度目のプラハ訪問、「皇帝ティートの慈悲」を初演している。
「モーツァルトは諸都市をめぐる旅馬車の中で、世に満ちる音楽を受容しつつ、それらの作品とはまったく異なる彼ならではの独自性を追求していたのである」と西原稔・桐朋学園大学教授はいう。
他に、◎モーツァルトにとって「旅」とは何だったのか◎モーツァルトが生まれたザルツブルク、定住したウィーン◎サリエリの生涯とモーツァルト◎妻コンスタンツェ◎名曲名盤◎現代のモーツァルト演奏家、などです。

◎BIGが語る ウェルナー・ヒンク ヴァイオリン
ウィーン・フィルの元コンサートマスターで、ウィーン弦楽四重奏団のリーダーなどを務める。ウィーンの音楽一家に生まれ、まさにウィーンの音楽伝統を体現する存在。ウィーンの伝統として「踊るための音楽」と「緩さ」をあげる。ワルツで2拍目が遅れる理由を、「みんなで踊る夕べが盛り上がって長く続いて、ずっと演奏している第2ヴァイオリンやヴィオラが、弓を動かすのに疲れてしまって、2拍子目がずり下がって演奏するようになったのではないでしょうか。それがウィーンらしさになっています」と話す。

◎宮本文昭の気軽に話そう ゲスト ジャー・パンファン 二胡
中国出身の二胡奏者。1988年に来日して世界的に活躍している。二胡との出合いはラジオだったと振り返る。「小学2年生の頃からは中国が文化大革命の時代に入り、国外の音楽や文化は入ってこなくなったのです。一方で二胡や箏、琵琶、笛といった楽器は奨励されました。街の楽器屋さんでも手軽に買えましたから、演奏する人が格段に増えました。今でも大都市には必ず伝統的な民族楽器だけのオーケストラが活動しています」と中国の状況を話した。

このほか
◎青島広志の「ブルー・アイランド版音楽辞典」
◎外山雄三の「オーケストラと暮らして60年」
◎小山実稚恵の「ピアノと私」
◎「鍵盤の血脈 井口基成」中丸美繪
など、おもしろい連載、記事が満載です。

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