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MOSTLY CLASSIC(モーストリー・クラシック)
275
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■目次■
マーラーは〝夏休み作曲家〟だった。ウィーン宮廷歌劇場の芸術監督、指揮者の激務をこなさなければならない。空いている時間は歌劇場が休みの夏休みしかなく、マーラーは避暑を兼ね、リゾート地などに出かけ小さな作曲小屋にこもり、集中的に作曲をした。
マーラーがウィーン宮廷歌劇場の芸術監督に就任したのは1897年。翌年にはウィーン・フィルの常任指揮者にも就任する。交響曲第4番は1899年8月、アルトアウス湖畔で着手、翌年夏に完成する。1901年夏はマイアーニックで過ごした。この休暇で作曲したのは「リュッケルトの詩による5つの歌曲」、「亡き子をしのぶ歌」の一部、そして交響曲第5番のスケッチを手掛けた。交響曲第6番「悲劇的」は、1903年夏、マイアーニックの作曲小屋で着手した。翌年9月、マイアーニックで交響曲第6番の第4楽章を作曲して完成。第7番も作曲を始めた、という具合。
残された10曲の交響曲のうち、音楽ファンを超えてマーラーの名前を知らしめたのが交響曲第5番。イタリアの名映画監督ルキノ・ヴィスコンティが監督した映画「ベニスに死す」で第4楽章「アダージェット」が使われた。トーマス・マンの小説を原作とするが、マーラーがモデルとされる。第4楽章はハープと弦楽器だけで演奏される美しい音楽である。「それまで一部の熱狂的な支持にとどまっていたマーラーの魅力が広く世に知られるきっかけとなった」と音楽評論家の江藤光紀氏は書いている。
ベートーヴェンは超難曲、ピアノ・ソナタ第29番「ハンマークラヴィーア」について「50年もすれば弾けるようになるだろう」と豪語したという。作曲家としてはそれほど恵まれなかったマーラーは「やがて私の時代が来る」という言葉を残している。天才の作品は同時代に評価されなくても後世に光を当てられ、残っていくものなのだろう。
他に、◎交響曲第1~10番、「大地の歌」◎マーラーが生きたハプスブルク朝最終期のウィーン◎マーラーの編曲◎マーラーの伝道師バーンスタイン◎1970年代以降のマーラー演奏◎R.シュトラウス、ロットの交響曲、などです。
表紙は、マーラーとマーラーの作曲小屋のあったトプラッハです。

◎BIGが語る
小林研一郎 指揮

4月に80歳を迎える日本を代表する指揮者の一人、小林研一郎。傘寿記念として同月、チャイコフスキーの交響曲チクルス(全曲演奏会)がサントリーホールで行われる。大相撲の初場所で優勝した徳勝龍の「もう33歳でなく、まだ33歳です」という言葉を借りて、「まだ80歳」と話す。また11月にはハンガリー国立フィルの日本ツアーを指揮する。元気の秘訣を「両親の大きな力が私の体を今でも支えてくれていると思います」と話している。

◎宮本文昭の気軽に話そう
ゲスト ピアノ・作・編曲・プロデューサーの羽毛田丈史
宮本文昭も初期のころに参加していた「live image(ライブ・イマージュ)」の音楽監督を務める。今年で20年、7月に最終公演を迎える。最終回ということで、宮本も久しぶりに出演する。今年の参加アーティストは沖仁(フラメンコギター)、小松亮太(バンドネオン)、ゴンチチ(ギター・デュオ)、高嶋ちさ子(ヴァイオリン)らバラエティーに富んだ面々。「今は垣根がなくなってきています。『live image』は最初からそういうところにいたんです」と羽毛田は話す。

このほか
◎青島広志の「押しもしないが押されてばかり」
◎外山雄三の「オーケストラと暮らして60年」
◎小山実稚恵の「ピアノと私」
◎「鍵盤の血脈 井口基成」中丸美繪
など、おもしろい連載、記事が満載です。

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