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MOSTLY CLASSIC(モーストリー・クラシック)
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特集
ウィーンの作曲家
ベートーヴェンとシューベルト

ベートーヴェンは1827年、56歳で亡くなった。シューベルトは翌1828年、31歳で早世した。ベートーヴェンは宮廷歌手の息子としてボンで生まれ、1792年、ウィーンに移住した。シューベルトはウィーン近郊で生まれ、父は教区の教師だった。2人は同じウィーンの空気を吸っていたが、2世代ほど違い、シューベルトが作品を量産し始めた1810年代は、ベートーヴェンの〝傑作の森〟時代。シューベルトにとってベートーヴェンは仰ぎ見る存在だった。
ベートーヴェンは耳が聴こえにくくなっており、1802年には「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いた。しかし、創作意欲は衰えることなく1804年に交響曲第3番「英雄」を作曲、交響曲第5番「運命」(1808年)、ワーグナーが「舞踏の聖化」と呼んだ交響曲第7番(1812年)、ピアノ・ソナタ第21番「ワルトシュタイン」(1804年)、ピアノ・ソナタ第29番「ハンマークラヴィーア」(1819年)、ヴァイオリン・ソナタ第9番「クロイツェル」(1804年)など次々に傑作が生まれていく。
貴族の邸宅、ホールで作品を発表、楽譜を出版していたベートーヴェンに対して、シューベルトはシューベルティアーデと呼ばれる仲間たちの集まり、サロンなどで作品を発表していった。サロンで裕福な友人たちに囲まれ、ピアノを弾くシューベルトの絵が残されている。シューベルトはその友人たちの家で寝泊まりし、ベートーヴェン以上に自由人だったのは世代の差も大きいだろう。
ベートーヴェンとシューベルトはサリエリの弟子で、つまり兄弟弟子になる。しかし、シューベルトは初期にはハイドンやモーツァルト、ロッシーニの影響を受け、ベートーヴェンとは異なる独自の道を歩んだ。
「シューベルトの創作におけるベートーヴェンの影響は限定的であるが、それはシューベルトが自身の創作の個性と、ベートーヴェンの創作とをはっきりと区別し、自分自身の創作の個性の確立を重視したからのように思われる」(西原稔桐朋学園大名誉教授)
シューベルトがベートーヴェンに会ったのは1827年3月。病床にあったベートーヴェンを見舞っている。項目はほかに◎ベートーヴェン:交響曲第7,第8,第9番◎「ハンマークラヴィーア」「ディアベリ変奏曲」「ミサ・ソレムニス」◎シューベルト:「未完成」「ザ・グレイト」◎「楽興の時」「即興曲集」「ます」「冬の旅」「八重奏曲」◎ベートーヴェンとシューベルトの名指揮者たち◎ベートーヴェンの「不滅の恋人」とは誰か、実子はいたのか、など。表紙は、ベートーヴェンとシューベルト、背景の絵はベートーヴェンの葬儀の風景。葬儀にはウィーン市民約2万人が参列したと伝えられている。

◎宮本文昭の気軽に話そう ゲスト・小松亮太 バンドネオン
日本のバンドネオン奏者の第一人者、小松亮太。今年はタンゴを確信した作曲家アストル・ピアソラの生誕100年で、小松も記念アルバムを5月に発売する。また、3月には著書「タンゴの真実」を出版した。「時間がたつにつれて、タンゴという音楽のバックボーンがどんどん分からなくなっています。全世界に蔓延している『タンゴの常識』の誤解を解きたい」と話す。

◎BIGが語る 飯守泰次郎 指揮
東京シティ・フィル桂冠名誉指揮者を務める飯守泰次郎。傘寿(80歳)記念として5月16日(日)、東京文化会館で、ワーグナー「ニーベルングの指環」ハイライト特別演奏会を指揮する。ジークフリートにシュテファン・グールド、ブリュンヒルデにダニエラ・ケーラーなど第一線のワーグナー歌手を招聘する。「コロナ禍で私たちが現代社会で抱える問題が今まで以上に露わになり、『指環』の普遍的な内容がいっそう私たち自身のこととして迫ってきます」

このほか
◎青島広志の「押しもしないが押されてばかり」
◎外山雄三の「オーケストラと暮らして60年」
◎小山実稚恵の「ピアノと私」
◎「鍵盤の血脈 井口基成」中丸美繪
など、おもしろい連載、記事が満載です。

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